根本に立ち返る

「人生の質を上げていきましょう!」
「QOL向上を目指しましょう!」
我々のような健康に従事する人間なら口を揃えて言う言葉です。


しかし、「人生の質とは?」「逆に質の悪い人生とは?」「そもそも人生とは?」
と、改めて考えると、意外と答えに窮してしまうことがあります。
今回は、これらを根本から整理して考えてみたいと思います。

人生そのものの定義は、生物学的視点や哲学的的視点など、多様な切り口があります。
そのため、一概に結論づけることはできませんが、
仮に「誕生、成長、(繁殖)、死という生命活動のプロセスの中で、自ら意味を見出すもの」
としてみましょう。

単に「生命活動」という観点から考えれば、「生存」「成長」「繁殖」を支える
健康な肉体衣食住清潔かつ安全な環境といった条件が挙がると思います。

しかし、私たちはそれぞれが個別に「感情」「価値観」を持ち合わせています。
そして、そこに「質」という観点を加えると、生命活動の意義はさらに複雑で多面的なものとなります。
「質」とは、「何らかの基準に基づいて評価された状態」を指しますが、人生においてこれを語るとき、それは極めて主観的であり、多様性に富んでいます。

「質」を構成する要素は
ある人にとっては「地位や財産」であり、
ある人にとっては「温かい家族」であり、
ある人にとっては「美味しい食事」なのかもしれません。

また、それらの要素が1つに絞られることは非常に稀で、
多くの場合、複数の要素が組み合わさって自分の満足のいく状態を形づくっているのだと思います。

このように考えると、「人生の質」とは単なる生命活動を超え、一人一人が自らの価値観や感情をもとに作り上げていく、極めて個別的で奥深いものなのではないでしょうか。

質の悪い人生は存在するのか

そんな個別の感情や価値観をもとにつくられていく「人生」に対して、
「質が悪い」ということが存在するのでしょうか。


質が悪いであろう人生を少し考えてみました。

健康や生存の観点から見た「質の悪さ」

  • 病気や慢性痛に苦しむ
  • 衣食住が満たされない
  • 極度のストレスや苦痛を抱える

主観的な観点から見た「質の悪さ」

  • 幸福感が著しく低い
  • 生きる目的や意義が見出せない
  • 孤独感や疎外感を強く感じる

社会的観点から見た「質の悪さ」

  • 社会的なつながりや役割を失う
  • 他者からの尊厳が侵害される
  • 社会的地位や経済的安定が極端に低い

こうした状態を「質の悪い人生」と捉えることも出来ますが、最終的には本人の主観が大きな意味を持ちます。
どれだけ客観的に「悪い」と思える状態でも、本人がそれに満足しているのなら、それがその人にとって「良い人生」になり得るということです。

人生の質をあげる必要があるのか?

「人生の質をあげたいか?」と問われたときに、既に現状に満足しているのならば、それで良いのかもしれません。


しかし、より健康で活動的になれば、もっと多くの経験や挑戦をして、新しい世界が広がるかもしれない。
よりポジティブになれば、より良い人間関係を築き、日々の小さな幸福を増やせるかもしれない。

そう思う人も多いはずです。

日本人特有の価値観なら「私は普通でいい」そう答える人も多いでしょう。
しかし、「普通」とは何か?
「普通」という言葉は平穏や安定を願ってのことでしょうか。
もしくは、環境の変化やリスクへの恐れでしょうか。
「平均的な生活」という意味であれば、次のようなものが思い浮かびます。

・年収440万円
・睡眠時間6時間強
・親しい友人の人数 2〜3人
・労働時間7時間40分
・年間休日120日
・共働き
・男性の3割、女性の5割が肩こりを経験
・日本人の3割が腰痛の悩み
・結婚(3組に1組が離婚)
・マイホームの所有(65〜70歳まで返済)
・65歳定年退職(再雇用制度を利用して働く人も)
・平均寿命:男性81歳 女性87歳

これらが「普通」と感じる人がいる一方で、「普通でいい」と言いながらも、どこか満たされない気持ちがあるのなら、この記事を読んだ後にもう少し自分の価値観を見直した方が良いかもしれません。
質を上げることは、単に「贅沢する」とか「成功する」という話ではありません。
自分にとって本当に大切なものを見極め、それを取りに行く過程そのものが人生の質をあげる行動だと思います。

健康の価値

それぞれが想い描く「人生の質」を構成するもの
例えば、多くの財産を得たり、幸せな家庭を築けたとしても、
重大な健康問題を抱えてしまったら、全て失うことになるかもしれません。
財産も、家族も全て「健康」という基盤の上に成り立っているのです。


しかし、多くの人は、今現在自分の心身に問題のない状態を当たり前と考えがちです。
残念なことですが、健康は損なうことで初めてその重要性に気づくことができます
あるいは、自身の大切な人が健康を損なった姿を目の当たりにしたとき、その瞬間「健康はいかに貴重で脆いものなのか」を痛感するのかもしれません。


健康は「当たり前」ではなく「前提」に。
日々その基盤を大切に守ることで、人生の質をあげるためのステージにいけるのではないでしょうか。

死を迎える際の後悔

数多くの患者を看取ったオーストラリアの看護師、ブロニー・ウェア氏曰く、
人は亡くなる前に何かしらの「後悔」を口にするのだとか。


彼女の有名な著書「死ぬ瞬間の5つの後悔」にはこのように記されています。

  1. 「自分自身に素直に生きればよかった」
  2. 「仕事にばかり時間をかけなければ良かった」
  3. 「自分の気持ちを正直に示す勇気を持てばよかった」
  4. 「友達をもっと大切にして、連絡をとっておけばよかった」
  5. 「自分をもっともっと幸せにしてあげればよかった」

これらの言葉は、自分の価値観を見直し、他者とのつながりを大切にすることの重要性を改めて考えさせられます。
そして、同じ時代を生きた先人たちの言葉から学ぶべきものも多いでしょう。
私たちが今後の人生をより豊かにする手助けとなるはずです。

Wellness-ウェルネス-

ウェルネスとは、1961年アメリカのハルバート・ダン博士によって提唱された健康からさらに1歩踏み込んだ概念で、
「健康」という土台の上に「自分らしい人生」を築くための取り組みであり、
それぞれが自分の価値観に合った幸福を追求しながら成長していくプロセス

のことです。

1977年設立のNWI(National Wellness Institute)ウェルネスの研究・教育期間は、ウェルネスを以下の6つの次元で定義しています。

  1. Physical Wellness(身体的ウェルネス)
    • 運動、栄養、休息を通じた身体の健康維持。
    • 疾病予防やフィットネスの重要性。
  2. Emotional Wellness(感情的ウェルネス)
    • 自己認識と感情の管理能力。
    • ストレス対策や前向きな思考。
  3. Intellectual Wellness(知的ウェルネス)
    • 学びや創造性の追求。
    • 新しいスキルの習得や知識の拡大。
  4. Spiritual Wellness(スピリチュアルウェルネス)
    • 人生の目的や価値観の追求。
    • 瞑想、宗教、哲学的思考の活用。
  5. Social Wellness(社会的ウェルネス)
    • 良好な人間関係の構築。
    • 支え合い、他者とのつながりを大切にする。
  6. Occupational Wellness(職業的ウェルネス)
    • 職場での満足感やバランスの取れた働き方。
    • 仕事と生活の調和を目指す。

健康のその先

健康という基盤が形成できれば、日々の活動や心に余裕が生まれ、心身ともに豊かな時間を過ごすことができます。
そして、取り組んだウェルネスの先にはあるものは
「満たされる幸福感」であり「充足した日々」であり
「生きやすい自分の人生」ではないでしょうか。
健康はあくまで目指すべきゴールではなく、健康を前提とした上でどのように自分の人生を生きるのかが大切です。

そして、そのさらに行き着く先は..

悔いのない形で人生を終えること。


死が「自然なプロセスの一部」として受け入れられ、苦痛や恐怖や未解決の感情に悩まされずに迎えられること。
つまり「安らかな死」であると、
いえ、そうあって欲しいと私は考えています。

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